豆まき

先月の話題になりますが、豆まきのはなし。

他所から聞こえていた記憶はありませんが、ウチでは張り切って声を張り上げて「鬼はぁ外ぉ。福はぁ内っ」と投げていました。

そんなことを思い出しておりますとふと、

豆まきだけは欠かさず行ってきた我が家の謎に思い至り、ちょっと考えてみました。

 

年中行事らしいことのほとんど(誕生日も盆暮れクリスマスも)やってこなかった我が家。

とにかく腹いっぱいになることを目的とした食生活(そうめんが一週間山もりで続いたときはつらかった)。

食べ物を粗末にするなと、ましてやあれほど豆好きな父が、豆まきのときばかりは子供らに豆まきをさせていた。

 

東京大空襲で夜空が真っ赤に揺らめくのを疎開先の千葉から見ていた子供の父は、私の想像以上に飢えていた。

佐々淳行の少年時代のエッセイに、浅草のショッツル鍋の話があって、浅草育ちの父にそのはなしをしたことがある。

佐々少年が仲間と町の通りで買ったしょっつる鍋を旨い旨いとた食べていたある日に、

ふと、まさに調理中の鍋の中に米軍のタバコが一緒にまぜられているのを見てお椀の中身をすぐ捨てた みたいな話。

さすがに食べれないよね、という私に父はしばらく無言だった。

父の経験した「飢え」との温度差に気づいて「いや、佐々淳行はなんだかんだお坊ちゃんで、ほんとに飢えてたら食べちゃうか」とふると

「うん、食べちゃうな」と父は答えた。

 

そんなトラウマレベルの飢えを少年時代に持つ父が、大好きな豆を、毎年欠かさず、しかも自分で蒔くわけでもなく、

「ほら、まいてこい、隅々までやるんだ」と息子たちに好きなだけ豆まきを何故させていたのか。

たぶん、自尊心を深く傷つけた過去への復讐のような。

 

消防点検でお部屋に入らせていただく際に仏壇があると、ふと頭が下がります。

今ここの安全点検するこの仕事も、今ここに繋げた先人が人知れずいたからなのだなと頭が下がります。

 

瀬川